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「父なし子」(プラトーノフ)の映画化
ニキータ・ミハルコフ 

 全く無名に近いこの戯曲を映画化した理由はまず、"三人姉妹""ワーニャ伯父さん""かもめ"などの円熟した戯曲がすでに映画化されていること、一方"父なし子"が他の戯曲と較べて未熟であり、しかも作者が17才頃から書き始めたととに我々が魅かれたことによる。我々はこの戯曲を、最大限自由に読みとった。ましてこの戯曲が大変な長篇であり、しかもそこには、人間の性格を透徹することにかけては天才的だった、のちのチェーホフを彷彿させる片鱗がすでに全然異質の断片と隣り合せていたことを考えるなら、映画化はだいたいが不可能でもあった。
 アレクサンドル・アダバシャンと私はこの戯曲を基本に据えはしたが、執筆中にだいぶ変えてしまった。
 我々は円熟したアントン・チェーホフと若いアントーシャ・チェホンテを最大限接近させようと努力した。全く同じ作家だからである。もちろん、かれは年の功を重ね、そして憂え、悩みもしたが、かれ自身に変りはない。
 何かを行おうとしながら、いざ実行する段になると決定的瞬間に逡巡してしまうチェホフの主人公たち……。チェーホフが創作した人格の大きな真実はここにあるとと私は思う。チェーホフは自身、英雄も悪玉も、まして天使も描いていないと語っている。
 我々はプラトーノフを選んだ。かれは自分の思想に背き、自らを裏切った。だがかれは、かつてと同様に、未来にはあらゆることがあり、すべてが可能であり、自分はまだ若くく健康で、誰よりも賢く、ユーモアに富んでいて、こんな地方にいようと人生は前途洋々たるものと思い続けていた。
 万事が未来にあると信じていたが、彼はすでに坂道を転がり下りつつあったのだ。
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