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セルゲイ・エイゼンシュテイン
 1898年、ラトヴィヤのリガ生れ。48年、モスクワで
歿。父は建築技師で、エイゼンシュテインもレニング
ラードの土木工科専門学校を卒業した。在学中の17年、
十月革命が起り、志願して赤軍に入り、初めは工兵隊
にいたが、のちに宣伝隊に移り、少年時代からの絵画
の才能を生かしてポスターを描いたり、小演劇の装置
や演出を手がけた。
 20年より、プロレトクリトの労働者劇場に所属して
美術監督や演出助手を勤め、23年、「賢人」を演出し
た。この舞台にはまた、短篇コメディ映画『グルーモ
フの日記』が挿入されており、これがエイゼンシュテ
インの文字通りの処女作であった。最初の論文「アト
ラクションのモンタージュ」が発表されたのも同じ頃
である。その後、かれは「ガスマスク」の舞台を実際
にガス工場で上演するなどの試みを行ってのち、演劇
に限界を感じて、映画界に転じることになる。
 以後、映画史上に不減の画期的名作を発表し続けた
が、いずれの作品も歴史の趨勢の前に宿命的とも云う
べき、苦い運命を担わされたことでも特異であった。
エイゼンシュテインはまた、「アトラクションのモン
タージュ」「知的モンタージュ」「視聴覚モンタージュ」
などのモンタージュ論を提唱し、それを実践して、映
画の発展にも大きな影響を及ぼした。
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