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「ジプシーは空にきえる」(1979年4月1日発行)より転載


わが恩師のこと
 映画大学時代にわたしが教えを受けたのは
グリゴリー・ロシャリ監督とアナトリー・ゴ
ローヴニャ撮影監督です。ロシャリ監督は博
識で、誠実な人柄でした。かれはわれわれを
取りまく周囲のさまざまな現象、事実、そし
て個々の対象から一番大切なもの―美しいも
のを引き出し、われわれ学生にその美しさを
感じとって、周囲の世界に歓喜し、ひいては
それを愛することができる力を培うようにし
ました。
 プドフキン監督のカメラを担当していたゴ
ローヴニャ撮影監督はわたしに映画の秘密を
明かしてくれた人です。「定着ではなく、動
きなのである。熟視だけでは、疑似映画であ
り、自然主義であり、芸術としては終りを意
味する。選択の一瞬こそ、創作の最初の行為
である。キャスティングやアングルを決める
こと―それはわれわれがどんな視線でこの世
界を見るかなのだ。詩的な映画を撮りなさい」
これはゴローヴニャの言葉です。

どんな映画を撮るか
 わたしはたとえば、彫刻を言葉で彫りあげ
られないように、言語では表現しつくせない
ような映画を撮りたいと思います。そういう
映画こそわたしは貴いと思います。さもなく
ば、わたしは詩を書いている方がはるかにい
いのです。
 レフ・トルストイは「考えたとおり、思っ
たとおりに書かねばならない」と語りました。
映画ではそれが「撮る」という表現になりま
しょう。いったいなぜ、時々、映画に文学か
ら借りた構成、形式、リズムが持ちこまれる
のでしょうか?たとえば、なぜ映画は音楽に
よって構成されないのでしょうか。メロディ
は映画の意義を伝えたり、心理的な、さらに
音響的なメッセージを表わすこともできます。

記憶に残る作品と監督
 わたしがこれまでに深い印象を受けた映画
にはイーゴリ・サフチェンコ監督の「ボグダ
ン・フメリニツキー」(民族解放闘争のパトス
や愛国心を描いたウクライナ映画)がありま
す。サフチェンコ監督はエイゼンシュテイン
の映画芸術の原則に従い、まず、それらに合
理的というより、情緒的なニュアンスを与え
ました。
 フェデリコ・フェリニの「道」。この映画
は、磨きあげたあとの彫刻のように、さん然
と輝いています。
 ミハイル・カラトーゾフとセルゲイ・ウル
セフスキー。かれらの「戦争と貞操」は戦後
のソビエト映画の傑作です。これは人間の感
情を愛と思いやりで見事に描写したロシア文
学の伝統にもかなった、非常にロシア的な作
品です。
 これらの作品は―わたしの世界でもあり
ます。少くともわたしの世界の大部分なので
す。映画監督としてのわたしに多大な影響を
与えました。

私の作品に反映している民族的な原点
―――モルダヴィヤの自然、伝説、詩歌。

 これはいつも、わたしのなかに生きている
ものです。モルダヴィヤには山々や森があり
ます。そこでは人々は「われわれはみんな、
曠野から生れたのだ」とも言っています。ス
テップはわれわれの大切な空間です。あらゆ
ることがいつも、われわれの眼前に広がって
いるのです。敵と戦いを交えても、勇猛心と
剣でモルダヴィヤを守ってきました。人はも
しあの開かれたステップに身をおいたら、も
う自由になるのです。
 われわれのところには、沢山の古い墓があ
ります。十字架はすぐにも土に埋もれてしま
いましょう。そのかわり、われわれには吟遊
の詩人がいます。かれらは自らの歌で、愛す
る人との、かれらが愛する空や大地との別離
を耐えようとしました。詩歌は祭日のためで
なく、日々そのもののためにありました。わ
れわれは「モルダヴィヤのヴァイオリン弾き」
撮影中にも、できるかぎり、民族学的な正確
さを期そうとしました。今もなお、モルダヴ
ィヤの家庭に残されている古い、貴重な櫃を
覗いてみました。わたしは時に映画における
民族学的な視点が快よく思われていないこと
があるのを不思議に思います。そうしたもの
は、われわれの父たちが残した足跡だと考え
ます。

わたしが映画で追求し続ける主人公たち
 わたしは平凡な人間の心の美しさにひきつ
けられます。それはヒロイックな場でも日常
的な場でも発揮されます。ですから、わたし
がひかれているのは、「赤い草原」の羊飼い、
「モルダヴィヤのヴァイオリン弾き」の放浪の
音楽家たち、そして激しい自由の魂を失わず
にいる天幕の人々―――「ジプシーは空にき
える」のジプシーであり、さらに「この一瞬」
に登場する反ファシズムの兵士たちなのです。

映画で観客に語りかけたいこと
 美しい人々は時に、その時代や自らをとり
まく環境をはるかに凌ぐことがあります。か
れらの夢や、光を求める行動は必らずしも良
い結果をもたらすものではありません。しか

(2)
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