1月1日(水)
特に感慨もないが、はじめて外国で新年を迎えることになった。日本の初詣よろしく、赤の広場に繰り出して、新年を祝って気勢を上げるというのが、こちらでの定番らしいのだがホテルを出る気がしない。外は粉雪まじりの相当な強風。マイナス20度、いや、もっと気温は下がっているかもしれない。
映画祭事務局主催の新年パーティを終えると、その場の流れでポーランドの審査員の一行とホテルのバーで2次会という趣向になった。
北京ホテルには、今回の映画祭の招待者がみな宿泊している。コンクール出品作「THE FLOOD」のイスラエルの監督ガイ・ナッティヴ、そのカメラマンのアヴィシャイ・シヴァン。ギリシャの児童映画の関係者のご婦人。ロシアの地方で子役として活躍中の坊やとそのご両親。ポーランド組は、審査員のポーランドのクシュシュトフ・グラドウスキイ監督と彼の娘で女優の卵のアリーシヤ、ポーランドの児童映画祭協会の責任者のご夫婦といった面々。
頭では解っている積もりだったのだが、ポーランド組は、滅法、アルコールに強い。かつて、ニキータ・ミハルコフ監督と映画のシーンさながらに腕にグラスを並べて、ウォッカを煽ったことなど吹聴したのがマズかった。友好的なムードの中、杯が重ねられるが、胃はもはや戦場と化して行く。ポーランドに負けてなるものかと、筆者もにわか民族主義者となり果て、気がつけば、腕をまくりあげて臨戦体制を取っている…
…そういえば、以前、99度というウォッカを飲んだことがあったな…喉を通る時、まるで氷を流し込むような感触があって、その後、胃の奥から熱い気体が蒸発してきた…火酒というよりアルコールそのものだと思ったものだった…扇さんから貰ったものだったかもしれない…あれは、ポーランド産だったか?…
などと、とりとめもない記憶が頭を横ぎり、ノックアウト。いやはや、文字通り"痛飲"でやんした。
映画祭の方は、コンクール作品の上映はなく、普段より遅めに開場して早仕舞いという感じ。ロシアでは1月1日は家でパーティ、子どもたちは日本のクリスマスのようにプレゼントを貰う日、ということなので、日程も配慮されているのだろう。 |