ロシア映画社から「ウラジオストック映画祭の審査委員の依頼が来てるんだけど、行ける?」という問い合わせをいただいたのは8月も下旬に入ろうかという頃だった。大急ぎで映画祭事務局に招待状を送ってもらうようお願いし、ビザなどの手続きをすべてロシア映画社にお任せして、やりかけの仕事を片付けていった。ハラハラしながら待ったビザとチケットを受け取ったのは出発前日の9月8日。ロシアへの旅行はいつもこうだけれど、決して慣れることがない。
映画祭の正式名称は「アジア・太平洋諸国ウラジオストック国際映画祭『太平洋子午線』」という長いもの。今年で3年目を迎えたばかりのこの若い映画祭の委員長は、やはり若くしてウラジオストック沿海州の知事を勤めるセルゲイ・アールィキン氏。この映画祭の特徴を「沿海州」という土地柄に求める彼は、沿海州をロシアと太平洋諸国間の経済的な拠点とするだけではなく、文化的事業の一大拠点とするべくこの映画祭を立ち上げたと語る。
どのような映画祭かという予備知識もなく、映画を観て審査するという仕事の魅力だけに引きずられてウラジオストック入りした私は驚いた。
9月10日から15日までの映画祭期間中、4つの映画館で上映された映画は20カ国から集められた合計200本の短編と長編。私には残念ながら観る時間がなかったが、ロシアの最新作が12本も上映されていた。しかも話題作ばかりだ。関空から2時間20分の地で、ロシアの新しい映画をこれほど集中的に観られるのなら、一観光客としてもこの映画祭は見逃すことのできない大イベントである。
次に驚いたのがオープニングとクロージングのセレモニー時の青の階段(これは明らかにカンヌの赤の階段のパロディだ)。審査委員として招待を受けたときには、感謝の気持を表すために着物を着ることにしている。ところが、普段着慣れないものだから歩くときには足元ばかりが気になる。大型の外国車から会場前に降り立ったとき、階段の周りに群がる数百人の観客に圧倒された。マイクで一人ひとりが紹介される。大歓声のなか、女優ならにこにこと観衆に笑顔を向けて手を振るところだ。ところが私ときたら、とにかく階段で躓かないことばかりを考えて、手を振るどころか顔も上げず、ひたすら長い長い階段を黙々と登り続けた。そして待ち受けていた知事に挨拶をするのさえ忘れてしまった。 |