原作がウラジーミル・ナボコフの戯曲で、私の好きな女優チュルパン・ハマートヴァが出演しているので、期待して観にいったのが『出来事』(2008年、アンドレイ・エシュパン監督)という作品だ。ところが、ロシアのディアスポラとして西洋の片田舎で暮らす芸術家と彼の妻、母、姉妹が物憂げなトーンでひたすら喋るこの映画に私はどうしてもついていけなかった。矢継ぎ早に発せられるロシア語が聞き取れなかったこともあるが、嫉妬ゆえに主人公の夫婦を殺そうとした男(登場はしない)が6年ぶりにその町に帰ってくることに対する夫婦の不安だけを描いた、ある意味でモノローグ的な作品なので、言葉が分からないのは辛かったのだ。珍しくウトウトしてしまった。不覚。
題名に惹かれて観たのが『たそがれ』(2008年、ウラジーミル・モス監督)という若手監督の作品。美しく若い女性が同じように美しく若い主人公に別れを告げる場面から映画は始まる。何か美しいラブストーリーが始まるような予感。ところがこの主人公が何を考えているのか、何を求めているのか全く分からない。恋人もそれゆえに他の男の所に去って行ったのだろう。手術を控えて入院中の母と二人暮らしの主人公は現代版のラスコーリニコフだということが映画の途中から分かってくる。ドストエフスキーの主人公が自分が天才であるか否かを確かめようとしたのと同じく、この映画の主人公は偶然手に入れた武器によって、自分が強い人間であるという錯覚に陥っていく。まったくつまらない映画ではなかったが、残る作品ではないだろう。 |