1762年、冬宮が完成したこの年、エカチェリナ2世は、夫であるピョートル3世を退位させ、女帝の地位につきました。彼女はドイツ人でしたが、ロシア文化を身につけ、近衛隊やロシア正教会の支持を背景に、無血の宮廷革命に成功したのでした。エカチェリナは、フランス啓蒙主義にしたしみ、治世の初期には啓蒙君主として改革に取り組みました。 エカチェリナ2世の時代、1768年〜74年、1787年〜91年と2度に渡るロシア・トルコ戦争に勝利し、また、1783年にはクリミアを併合するなど、ロシアはヨーロッパの一大強国に発展しました。
1782年、エカチェリナ2世はピョートル大帝の即位100周年を記念して、ネバ河畔の元老院広場に馬上のピョートル像を建てました。ピョートル大帝の功績を称えることで、大帝の事業の後継者がエカチェリナであることを誇示したのです。
ピョートル大帝の時代、1757年にこの地に設立された芸術アカデミーは、エカチェリナ2世の治下の頃に多くの優れた人材を輩出しました。また、エカチェリナが収集した美術品は、エルミタージュ美術館の基礎となりました。さらに、ロシアの出版文化もようやく芽生え、次の世紀に文豪たちの文学が花開くもととなりました。
1796年にエカチェリナ2世は死去しましたが、その治世の後半において、ロシアは模範的な絶対主義君主国となりました。1800年には、首都は人口22万を数え、18世紀後半にはヨーロッパを代表する文化都市のひとつになったのです。 |