ロシア映画社 > サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行 > 映画の都 レンフィルム

 1941年6月、ナチス・ドイツの侵攻によって、第2次世界大戦が始まりました。ソビエトの映画人に急速な動員がかけられました。レニングラード市内のレンフィルム、記録映画撮影所、科学普及映画撮影所のカメラマンたちは軍映画班を作り、ドキュメンタリーやニュース映画を撮影しました。これは、「戦争映画集」として第2次大戦中、何度かにまとめられて公開されました。
 9月、ドイツ軍は、レニングラードを包囲しました。これに対し、赤軍と市民は、900日に及ぶレニングラード攻防の戦いに挑みました。
 政府の命令により、1941年の秋、レンフィルムはモスフィルムとともに中央アジア、カザフスタンのアルマ・アタに疎開しました。劇映画の製作は、この地で行われることになりました。アルマ・アタの撮影所は、中央連合撮影所と呼ばれて、レンフィルムとモスフィルムのスタッフが共同して製作に参加しました。この撮影所で製作された有名な作品としては、エイゼンシュテイン監督の「イワン雷帝」(第1部 1944年)があります。この映画には、撮影(室内シーン)のアレクサンドル・モスクヴィンをはじめレンフィルムのスタッフが参加しています。
 また、戦争中は、レンフィルムに限らず、ヨーロッパ・ロシアの監督が、バクーやタシケントなど、民族共和国の撮影所で映画を製作することがありました。
 1941年、のレンフィルム作品「モスクワの音楽娘」(アレクサンドル・イワノフスキー監督)は、第2次大戦後の1947年、その当時としては珍しいソビエト映画として日本でも公開されて、評判となりました。
 レンフィルムの一部の人は、レニングラードに残りました。撮影所内の工作工場を使って、軍服などを作っていたのです。また、市内に残った俳優たちと慰問のためのコンサート活動なども行っていました。
「イワン雷帝」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 第1部 中央連合撮影所1944年製作/第2部 モスフイルム 1945年製作)
「イワン雷帝」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 第1部 中央連合撮影所1944年製作/第2部 モスフイルム 1945年製作)
「イワン雷帝」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 第1部 中央連合撮影所1944年製作/第2部 モスフイルム 1945年製作)
「イワン雷帝」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 第1部 中央連合撮影所1944年製作/第2部 モスフイルム 1945年製作)
「イワン雷帝」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 第1部 中央連合撮影所1944年製作/第2部 モスフイルム 1945年製作) 「イワン雷帝」(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督 第1部 中央連合撮影所1944年製作/第2部 モスフイルム 1945年製作)
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ソヴェート映画史−七つの時代
服部美術館・特別展「レンフィルムの映画を描く」
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