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デカブリストの反乱
 1825年11月19日、アレクサンドル1世が急死しました。アレクサンドル1世には子がなく、次の皇帝の座は兄弟が継ぐことになるのですが、すぐ下の弟は帝位を辞退していました。このため、3番目の弟のニコライが皇帝となるはずでしたが、アレクサンドル1世はこのことをニコライに伝えることなく死んでしまいました。これが混乱を生み、皇帝がいない状態が3週間にもおよびました。
 改革運動の人々は、この混乱を利用して打って出ることにしました。スパイによって彼らの計画が政府に漏れているという噂が入ったことも急がせる理由となりました。十分な準備や連絡も取れぬまま、行動計画が考えられました。新皇帝ニコライへの忠誠を誓う、宣誓式までに反乱軍の連隊は決起して、未だ呼応しない連隊も反乱に加わらせ、合計6連隊で、残りの連隊を鎮圧。さらに攻撃に出て、ニコライ帝を逮捕し、政府機関を占領するという案が立てられました。しかし、この考えに変わって、元老院広場に反乱軍を集め、この兵力をバックに元老院議員を説得して、一挙に旧体制の終わりを告げる宣言を出させる、ということになりました。
 12月14日、午前11時。近衛モスクワ連隊のベストゥジェフ兄弟は、670名を率いて元老院広場に駆けつけました。しかし、宣誓式はすでに終わり、元老院議員たちは広場から去っていました。遅れて、近衛海兵団、てき弾兵連隊、などが到着して反乱部隊は総勢3000人になりました。しかし、時機を逸した反乱部隊に新たな方針は出されず、3000人はそのまま広場に立ちつくすばかりでした。
 こうして、反乱軍は無為の時を過ごし、1万2000の皇帝軍に完全に包囲され、夕方には壊滅させられてしまいました。
 この反乱が起きた12月は、ロシア語で「デカブリ」ということから、この反乱に加わった人たちのことを後に"デカブリスト"(十二月党員)と呼ぶようになりました。
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