サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>歴史と文化の都…>デカブリストの反乱

デカブリストの妻たち
 即位したニコライ1世は、逮捕したこの反乱の首謀者5名を絞首刑に、百数十人をシベリアに流刑としました。
 その一方で、首都から追放中だった詩人のプーシキンに対しては、温情を示して、赦免を与えて首都に呼び戻し、心を改めるよう求めました。
 デカブリストの妻たちのうち、ヴォルコンスキー公爵夫人、トルベツコイ公爵夫人ら9人は、シベリアの夫たちのもとへ向かいました。プーシキンは、その一人に自ら書いた詩を託しました。また、詩人のネクラーソフも、後に「デカブリストの妻たち」という詩を書いて、彼女たちに捧げました。
 1849年のペトラシェフスキー事件に連座して、4年間のシベリア流刑となったドストエフスキーは、デカブリストの妻の一人から聖書を送られ、その後の生涯、肌身離さず持っていました。
 1855年、ニコライ1世が急死し、新しい皇帝の座についたアレクサンドル2世は、大改革を実行します。シベリアのデカブリストたちも流刑を解かれ、首都に戻ることが許されました。その中には、この大改革に参加する人もいました。
 貴族の身分や立身出世を捨て、祖国のため、民衆のために身を捧げようとしたデカブリストの運動とその精神は、プーシキンやネクラーソフのみならず、その後のロシアの心ある人々に語り継がれました。そして、それは、20世紀に起こるロシア革命にも大きな影響を与えることになったのです。
実際のヴォルコンスキー公爵
デカブリストの一人、セルゲイ・ヴォルコンスキーはシベリアに流刑された。1856年に流刑を解かれた彼は、西欧に旅行し、自由思想家たちと交際して、政策を非難した。
映画「美わしき幸せの星」より
デカブリストの妻の一人に託されたプーシキンの詩「自由の声」は、シベリアにいたデカブリストの詩人オドエフスキーによって、「火花からやがて炎が燃え上がる」という返歌として応えられた。
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