1925年、ソコロフ捜査官は、パリで調査の結果を発表し、「ニコライ2世と家族は全員銃殺され、遺体は硫酸をかけられて焼却された」と述べました。1926年、ソビエト政府はそれまでの主張を覆し、ニコライ2世と家族を一緒に殺害したことを認めました。
ソコロフ捜査官が遺体を発見できなかったということや、ソビエト政府が家族の殺害を公表しなかったことは、様々な憶測を呼ぶことになり、皇帝たちは密かに生き延びているとする噂が流れました。また、皇帝や家族の1人だと主張する人物が、世界中に何度となく現れました。そのほとんどは、ニセモノであることを見破られましたが、ベルリンに現れたアンナ・アンダーソンという女性は、ニコライ2世の4女アナスターシャだと名のり、これを本物だと信じる人々が今日までいて、ハリウッド映画「追想」(1956年20世紀フォックス、アナトール・リトバック監督、イングリッド・バーグマン主演)が製作されるなど、長年にわたってマスコミを賑わせました。ソビエト本国でも、アレクセイ皇太子とおぼしき人物が精神病院に入院し、その後、死体置場で働いていたという記録が残されていると言われています。
1989年、ロシア皇帝一家の遺骨が発見されたというニュースが世界中を駆け巡りました。それは、エカテリンブルグの考古学者が、長年の調査のもとに既に1979年に発掘していたものでしたが、当時はソビエト政府の威光を恐れて発表を控えていたものでした。政治体制の替わった1992年、ロシア政府は、この遺骨を科学的に調査することをアメリカ政府に要請しました。
その後、ロシア、イギリス、アメリカの科学者からなる遺骨調査委員会が設けられ、DNA鑑定が行われることになりました。このDNA鑑定には、ニコライ2世が皇太子時代に遭遇した大津事件で血を拭ったハンカチの破片が、日本からも送られました。残念ながらこのハンカチからは、DNAは採取できませんでしたが、ロマノフ家に繋がる人々からのDNAによって、ニコライ2世や皇后などの遺骨は、ほぼ確定されました。現在までの調査では、アレクセイ皇太子の遺骨は発見されていません。また、3女マリアか4女アナスターシャのどちらかの遺骨も発見されていません。
1998年7月17日、サンクト・ペテルブルグのペトロパブロフスク大聖堂で、ニコライ2世と家族の遺骨の埋葬式が行われました。この日は、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の80年目の命日にあたっていました。 |