ロシア映画社>特別企画>サンクト・ペテルブルグを巡る映画紀行>文学に描かれたサンクト・ペテルブルグ

アンナ・スニートキナ 原稿の締切を目前にして、ドストエフスキーは、アンナ・スニートキナという若い女性速記者を雇います。そして、アポリナリヤとのヨーロッパ旅行で体験した自分の賭博熱を題材にした中編『賭博者』を口述筆記で26日間で完成させました。
 その後、ドストエフスキーは、アンナに求婚し、翌年、2人は正式に結婚します。しかし、債鬼は2人を安住させません。債権者から逃れるため、ドストエフスキー夫婦は早々にヨーロッパへ旅立ちます。この旅は当初、3ヵ月ほどの予定でしたが、肉体的な困難や貧困にみまわれ4年に及びます。この間に『白痴』(1868)が書き上げられ、『悪霊』(1872)が書き始められて、ドストエフスキーの名声は世界的なものになっていました。
 1871年にロシアに帰ってからのドストエフスキーは、経済的にも安定し、家庭的な幸福もはじめて得ました。晩年には大作『カラマーゾフの兄弟』(1880)を発表し、ドストエフスキーの生涯を通じて悩みぬいた思想的、宗教映画「ドストエフスキーの生涯の26日」より的問題や人間の本質についての思索が集大成されます。ドストエフスキーは、この『カラマーゾフの兄弟』の続編を執筆することを人生の最後の日まで熱望していましたが、1881年1月26日、肺動脈の破裂を起こして喀血します。2日後、ドストエフスキーは妻のアンナに、シベリア流刑以来、肌身はなすことのなかった福音書を読んでもらいながら息を引き取りました。
 「…忘れないでくれアンナ。僕はいつも君を熱愛していた。心の中でさえ、君を裏切ったことは一度もない…」それが、ドストエフスキーの最後の言葉でした。
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